ケツトジャーナル

丑年に、牛とお米のお話(牛丼編)

    • 米ラボ

前回に引き続き、丑年にかこつけて「牛」と「お米」にまつわるお話です。

今回は、今や国民食とも言える「牛丼」についてです。

 

国民食になるまでの道のり

牛丼の起源は、1862年(文久2年)横浜入船町の居酒屋「伊勢熊」で文明開化のシンボルとも言える「牛鍋」が売り出された以降だと思われます。1877年(明治10年)には、東京での牛鍋屋は550軒を超えて大流行となっていたとのことですので、牛鍋をごはんに載せた牛丼が誕生していてもおかしくありません。

1890年代には東京では「牛めし」という名称で発売されていたそうで、1899年には「吉野家」が創業されました。

肉食自体もなかなか地方の庶民には受け入れられなかったそうなので、国民食というにはまだまだだったのではないでしょうか。

時代は下り、その後牛丼がブレイクしたのは、1980年代かもしれません。

実は、1980年に吉野家は一度倒産しているのですが、その直後、全国の男児に大人気だった漫画「キン肉マン」の主人公キン肉マンの大好物として吉野家の牛丼が登場していました。

毎週放映されていたアニメでは「牛丼一筋300年〜、早いの、うまいの、やっすいの〜♪」という歌を歌うというくだりが頻繁に流れ、当時、子供達の間では吉野家の牛丼の認知度が高まったと思います。

かくいう私も「吉野家の牛丼」を食べてみたいと父親に頼んで、遠くの街にあった吉野家まで車で連れていってもらいました。ロードサイドの店だったこともあり、男性のトラックドライバーが次々と来店して、ザッとかきこんでパッと席を立つ、その光景に「大人の男の世界」を感じていました。(”男の世界” 今となってはセンシティブな表現ですが。。)

やがて、吉野家だけでなく、松屋やすき家、らんぷ亭なども全国チェーンとして街中に見かけるようになり、「大人の男の世界」ではなくなってきていました。

しかし、現在のように若い女性にも人気が広まるきっかけとして決定的だったのが90年代半ば頃です。

当時、若者を中心に人気を誇っていた歌手の華原朋美さんが「吉野家でつゆだくを頼んでいる」とテレビで公言しました。

それを観たのでしょう。コギャルと呼ばれていた女子高生達を吉野家でみかけるようになり、この時点から「つゆだく」も広く認知されたように感じます。

また、つゆだくの派生としてつゆ抜き、ねぎだく、などのオーダー方法も多くが知ることとなり一部のマニアだけが知るメニューが一般化されました。

もはやこの時点で「国民食」といえる認知度と人気を得ていたのは間違いありません。

 

牛丼に合うお米

さまざまな品種銘柄があるお米ですが、では、牛丼に合うお米は何でしょう。

過去の記事「好みにあったお米選び」によると、「日本晴」「ななつぼし」などさっぱりしているお米が合うようです。

またつゆだくになったときにつゆを吸い込み過ぎず、粒立ちがしっかりした「きらら397」も良いそうです。

牛丼チェーン店では、オリジナルブレンド米を使用しているそうです。

たとえば吉野家ホールディングスのウェブサイトによると、ブレンドの種類だけで全国で10種類前後、年間100種類以上の配合を試作して検証を行っているとのことです。

しかも、毎年作柄や産地・銘柄ごとに品質・特性は変化するため、ブレンドの変更と検証は継続的に実施しているそうです。味ももちろんのこと、価格も重要な要素になるかと思います。

いかに美味しい牛丼を私たちに提供してくださっている工夫には頭が下がります。

少し前までは牛丼をテイクアウトすると、発泡スチロール製の容器の底に茶色くて硬くなったご飯の塊ができていました。

それも持ち帰り牛丼の醍醐味だと思っておいしくいただいていましたが、最近はご飯と牛皿が別々にテイクアウトできるシステムのお店もあります。

丑年を迎えても外食自粛の雰囲気が晴れないのですが、そういう時こそ「早くてうまくてやすい」牛丼をご自宅でいかがでしょうか。

ライター:凱風快晴

参考資料
Wikipedia「牛丼」https://ja.wikipedia.org/wiki/牛丼
吉野家ホールディングスHP「「牛丼に最適な米」の安定調達」https://www.yoshinoya-holdings.com/csr/vol2.html